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「遠山」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

遠山


県中央部,槻【つき】川左岸の外秩父【そとちちぶ】山地東縁,山麓の台地・低地に位置する...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7288843]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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遠山方御厨【とおやまがたのみくりや】

(中世)鎌倉期~室町期に見える御厨名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

遠山方御厨(中世)
鎌倉期~室町期に見える御厨名下総国のうち建久8年の香取神宮用途注進状に遷宮用途と覆勘禄料雑事を賦課される郡郷として「遠山方郷」がある(旧大禰宜家文書/鎌遺960)以後,寛元元年11月11日・文永年間の遷宮所役注文に見え,香取社式年遷宮に際しては,酒殿1宇の作料として100石を所出する規定となっている文永年間の遷宮所役注文によれば,これ以前,宝治年間の遷宮時には既に伊勢神宮の御厨となって所役を免除されたが,文永度は院宣によって香取神宮役をつとめることとなったとあり,また,火御子社造営料30石の一部は千葉介頼胤が「遠山方二丁」から出したという(香取神宮文書/県史料香取)これによって,当地の地頭が千葉一族であり,神宮御厨となったのが建久~寛元の間であることが知られる「神鳳鈔」に「遠山形御厨」が記載され,「千葉大系図」では千葉介常胤の孫師胤とその子孫が遠山方氏を称している(房総叢書)元弘3年には,後醍醐天皇の近臣北畠具行の菩提料所として京都大徳寺に御厨領家職・地頭職ともに寄進され,翌建武元年には官宣旨をもって,一円不輸寺領とされた(大徳寺文書元弘3年7月1日付後醍醐天皇綸旨・同年8月6日付後醍醐天皇綸旨・同年8月10日付綸旨・建武元年8月21日付官宣旨/大日古)次いで,建武3年10月25日には光厳院からも安堵をうけているが(大徳寺文書/大日古),南北朝期の康永4年3月日付所役注文には当地の名が見え,香取遷宮所役が賦課されている(香取神宮文書/県史料香取)当地には大須賀氏の寄進した大慈恩寺(大栄町吉岡)の寺領4反があった(大慈恩寺文書応永33年8月22日付鎌倉府奉行人奉書/房総叢書)また,応永24年8月の日英末寺等支配注文に「同(下総国)遠山方小菅講演」と見える(法宣院文書/市川市史5)現在の成田市南部一帯,近代の遠山村に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

遠山の金さん【とうやまのきんさん】
「桜吹雪」の刺青(入れ墨)を見せて大見得を切り、悪人どもを降参させて一件落着となる『遠山の金さん』は、人気のテレビ時代劇である...

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出典:東京書籍「雑学大全2」

遠山荘【とおやまのしょう】
(中世)鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

遠山村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

遠山荘(中世)
鎌倉期~戦国期に見える荘園名美濃国恵那郡のうち荘域は現在の瑞浪【みずなみ】市の一部および恵那・中津川両市域を含む美濃国恵那郡のほぼ全域から,信濃国木曽郡の一部に及んだと推定される遠山とは,恵那山のことで,都から東行し,不破の関を越えると平原の彼方にはるか遠く見えることによるという(中津川市史)初見は「吾妻鏡」文治元年5月1日条で,源頼朝が木曽義仲の妹宮菊に「美濃国遠山庄内一村」を与えている次いで建久6年3月頼朝挙兵時以来の功臣加藤次景廉が当荘地頭職を拝領,その息子景朝は荘内岩村に拠って遠山氏を称したと伝え(遠山来由記など),承久の乱の責任を問われた一条宰相中将信能は遠山景朝に預けられ遠山荘で斬首されている(吾妻鏡,承久3年7月5日条)建長5年当時,荘は近衛家領の1つで,高陽院(藤原泰子)の領するところであったが(近衛家文書),南北朝期以降には「遠山庄内大井郷」が香厳院領(蔭涼軒日録,貞治6年11月16日条),「遠山庄手向郷内奥遠山上下村」が高山寺池坊領(高山寺文書)となっており,郷ごとの領家職分領がうかがえる一方,「遠山庄手向郷内明智上下村・荒木村・窪原・佐々良木・安主名」等は,中世を通じ一貫して遠山氏一流明知氏が地頭であり(遠山文書),現地は事実上,鎌倉期以来遠山氏一族の支配下にあったと思われる遠山氏は室町期には,荘一円に一族を分出,なかでも苗木・明知・岩村3氏は遠山三家と称され(蔭涼軒日録,長享2年8月22日条),江戸期には苗木遠山氏が大名,明知遠山氏が旗本となり明治に至るなお,東濃に蟠踞した遠山一族の多くが室町幕府奉公衆となっているが,これは幕府の有力守護土岐氏牽制策であったと考えられる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

遠山村【とおやまむら】
(近代)明治22年~昭和29年の自治体名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

遠山里村【とおやまさとむら】
(近世)江戸期~明治9年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

遠山川【とおやまがわ】
県南部を流れる1級河川...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

遠山里村(近世)
江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野中央西部,山田川支流妙堂川沿いの平坦地に位置する南東に千代田村がある弘前藩領貞享2年頃遠山里村と称していた村は,正徳3年以降下遠山村と呼ばれたという(西津軽郡史)この頃には上遠山里村と下遠山里村が成立していたと思われ,「村名改称并新村創立調」によれば,上遠山里村と下遠山里村の2か村があるため,享保11年上遠山里村を遠山里村と改称している享保12年に広須新田山通り36か村のうちの1村として見え,村位は下,免合は六ツ成とある(平山日記)村高は,「天保郷帳」86石余,「旧高旧領」120石余天明の飢饉などによって当村も荒廃状況を呈したと思われるが,再開発が進み,「津軽歴代記類」によれば,文政6年の新田開発功労者に対する恩賞の記事の中に,享和初年から文政年間の間に成立した新開村として「遠山里村,木造組」と見えている神社は稲荷神社があったが,のち明治5年に吉見村稲荷神社に合祀された(国誌)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数16,村況は「四方に水田あり,畑は鮮なし」という(同前)明治9年千代田村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

遠山【とおやま】
天竜川の支流遠山川の流域に位置する...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

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