ケータイ辞書JLogosロゴ 土場村(近世)


埼玉県>吉川市

 江戸期〜明治22年の村名。葛飾【かつしか】郡二郷半領のうち。古くは八木郷風早荘に属したという。幕府領。江戸初期には半割【はんわり】村のうちであったという。元禄8年の検地の際に半割村から分村したという。村高は「元禄郷帳」では167石余で,以後変わらず。村の規模は東西7町・南北3町。化政期の家数21軒。当村の飛地が飯島村内にある。用水は新田方用水を利用。反別は田15町7反余・畑6町9反余。鎮守は八幡社で飯島村の鎮守を兼ねる。寺院は新義真言宗真福寺・真言律宗寂光庵。高札場は村の西部,小名は道西・道東・利根川耕地。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数23・人口125,水害予備船25,人力車1・荷車1。物産は米・大麦。真福寺に小学校を設置,生徒数78。明治12年北葛飾郡に所属。同22年三輪野江村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288880
最終更新日:2009-03-01




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