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「中尾」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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中尾村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中尾山古墳【なかおやまこふん】 高市郡明日香村平田字中尾山にある7世紀後半の火葬墓... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中尾村【なかおむら】 (近世)江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾郷【なかおごう】 (近代)年不詳~現在の行政区名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾村(近世) 江戸期の村名藤津郡のうち多良山地,古枝川流域に位置する鹿島藩領能古見【のこみ】郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に藤瀬村がある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに163石余,「天保郷帳」では192石余,「旧高旧領」には見えないなお南部の山々および点在する奥山,平仁田,矢答などの集落は佐賀本藩領であった戦国期には有馬や大村の領有するところで,大村の家臣中尾某なる者が部下数名と来住して以来中尾村と称した(古枝村小志)天保年間の鹿島私領村々畝数石高帳では田畑屋敷茶畔12町余,地米高62石余近世末期の反別23町余,村高181石余(うち物成156石余・口米2石余・夫米7石余),ほかに林年貢銀約92匁余(鹿島藩記録)明治初年の戸数59(うち農家51)・人口237(同前)かつて当地に松尾山西福寺があり有馬氏の帰依寺であった天正年間に犬塚播磨守弾正盛家が竜造寺隆盛の藤津攻めで一番の武功があり森岳城主となったが,のち当村に閑居した西福寺の傍らに森村から興善院を移転した興善院は文明18年銘の木造阿弥陀如来座像があり,境内に慶安4年建立の庚申塔がある藤瀬にある地蔵堂は病気平癒の地蔵として参詣する者が多かった(鹿島志)天満宮は古枝川沿いにあり,延宝3年村の鬼門守神として尾崎の地から当地槿廟に移転した(古枝村小志)社殿には永禄4年銘の男神像と女神像があり,一木造りの狛犬がある明治初年の村高181石余,戸数59・人口237(鹿島藩資料)村内は,門守・小川内・槿廟・瑞徳・矢通平・坂本・永田・東平・新ケ江・祭場・二本木・平原・藤ノ瀬・立石・鳴瀬・立石の小地名からなる「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに古枝村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,古枝村のうちに「中尾村」と見え,戸数76・人口372... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中尾塁跡【なかおのるいせき】 戦国期の砦... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中尾洞【なかおどう】 中尾東の穴ともいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾村【なかおむら】 (近世)江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中尾村【なかおむら】 (中世)室町期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」