ケータイ辞書JLogosロゴ 中里村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡与野【よの】領のうち。江戸期を通して旗本牧野氏領。検地は元禄3年。享保14年高沼の干拓,高沼用水の開削に伴い同16年高沼新田,翌17年砂原新田が検地され当村の持添新田となり,幕府領。村高は「田園簿」で63石余,うち田58石余・畑5石余,「元禄郷帳」で63石余,「天保郷帳」で93石余。領主,新田開発の状況等は隣村大戸村との共通性が強い。用水は江戸初期には高沼溜井,享保16年以降は高沼用水を利用し,高沼用水組合(21か村)に加入。ただしこれだけでは足りず天水も利用。村の規模は東西・南北ともに4町余。化政期の家数は8軒。鎮守は稲荷神社,寺院は新義真言宗大日堂。世襲名主は岡田家(喜多右衛門)・寺尾家。寺尾家の茅葺住宅は寛文年間創建と伝えられる著名な民家。村内を中山道浦和宿に通じる道路が走る。高札場は村の中央に1か所。小名は琵琶島・琵琶橋・前原・東原。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数9・人口61,馬4,耕作船4,荷車4。物産は米・大麦・菜・ダイコン・芋・サツマイモ・鶏などで,余剰を他町村へ出荷。明治6年,中里大日堂を仮用し公立小学校中里学校が開校される。下落合・大戸・針ケ谷・与野の4町村の間と下落合村のうちに飛地がある。明治12年北足立郡に所属。同22年与野町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289014
最終更新日:2009-03-01




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