ケータイ辞書JLogosロゴ 中島村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡与野【よの】領のうち。はじめ幕府領,正保年間頃は旗本水野氏の知行,のち再び幕府領となる。検地は元禄3年。平野原に持添新田があった。村高は「田園簿」では251石余,うち田181石余・畑70石余,「元禄郷帳」では280石余,「天保郷帳」で284石余。村の規模は東西3町余・南北8町余。化政期の家数30余軒。用水は高沼【こうぬま】用水を使用。鎮守は荒神社。神社はほかに稲荷社・天王社など。寺院は新義真言宗万行寺。高札場は村の中央。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数34・人口191,馬9,耕作船11・漁船1,荷車2。物産は米・大麦・大豆など。西堀・山窪【やまくぼ】・道場【どうじよう】・鈴谷4か村の飛地の間と,領家・千駄2か村の間に飛地があった。同12年北足立郡に所属。明治22年土合【つちあい】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289027
最終更新日:2009-03-01




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