ケータイ辞書JLogosロゴ 永田村(近世)


埼玉県>花園町

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢【はんざわ】郡鉢形領のうち。古くは藤田郷萱苅荘に属したという。地名の初見は慶長9年11月7日,旗本吉田弥右衛門知行宛行状に「長田村」とある(野辺家文書)。はじめ幕府領,慶長6年から寛永11年までの間に旗本間宮・吉田・加藤・田村氏の4人の相給。寛保2年田村氏分は上知され,明和7年川越【かわごえ】藩(のち上野前橋藩)領と替わった。検地は万治2年・延宝2年・元禄6年の3回実施。村高は「田園簿」では205石余,うち田63石・畑142石余。「天保郷帳」では355石余,以後変わらず。村の規模は東西18町・南北8町余で,村の南部を秩父【ちちぶ】往還が通過。戸数・人口は寛保2年75戸・287人,文政5年93軒(ほかに潰家37),天保7年227人である(花園村史)。鎮守は八幡社,寺院は新義真言宗長楽寺。明治9年埼玉県,同12年榛沢郡に所属。明治9年の戸数93・人口448,同17年86戸・501人。砂礫を含む土地で水利悪く,時々旱に苦しむ地で米・大麦・小麦・薪・桑・繭・生絹を産出。明治22年花園村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289062
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ