ケータイ辞書JLogosロゴ 長田村(中世)


埼玉県>飯能市

 戦国期に見える郷村名。高麗【こま】郡のうち。初見は永禄7年正月11日の滝山城(東京都八王子市)城主の北条氏照印判状で,「長田之村」の山の立林を命じ,下草にても苅取る者があれば滝山城へ引き連れて来いと厳命した。同年10月19日の氏照印判状では「長田,分田金」の百姓退転者の名を氏照に早く申し上げよと述べ,もし脇から聞くようなことがあれば名主らを死罪に処すことを申し渡した(細田文書)。名主は細田氏であった。翌8年と推定される4月20日の同印判状に,用水堰の水口を長田村内に定める氏照の裁許があり,水口守の百姓である北島弥十郎にその旨を伝えた。当村の領主は宮寺与七郎で,同年丑6月8日の同印判状で当村と隣接する「くすミ」村との相論は宮寺与七郎の目安(訴状)をもって滝山城まで申し上げよと命じている(細田文書)。「くすミ」は久須美で,現飯能【はんのう】市大字久須美の地。細田文書は市の指定文化財。細田氏は戦国期から当村に住した。天正18年6月23日八王子城落城の際に北条氏照の重臣で当城の守将横地監物吉信が逃げ来り,細田家に隠れて細田姓を名乗り,元和9年正月に当地で没したと伝える(郡村誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289064
最終更新日:2009-03-01




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