ケータイ辞書JLogosロゴ 名栗郷(中世)


埼玉県>名栗村

鎌倉期から見える郷名那栗郷とも書く秩父【ちちぶ】郡のうち県南西端,入間【いるま】川の上流(通称名栗川)沿いの,三面山に囲まれた谷間に位置する地名の由来は「新編武蔵」では栗の名産地だったことによるとするが,一説にはナグリの「クリ」には石ころ・岩,ひいてはガケの意味があり,名栗川沿岸のガケが注目されてその名を得たとする説もある(松尾俊郎:日本の地名)ただ「ナ」をどう解するか山城の殖栗のナグリ神社は双栗【なぐり】神社と書くのが注目されるまた「ナグリ」とは入り込んだ谷間の意だともいう(地名誌・地名語源辞典)初見は元亨4年10月日の秩父神社(現秩父市)造営料木注文に秩父谷一帯の郷村に料材を課し,そのなかに「那栗郷分」として柱やこしたる木の材料などを求めた旨が見え,当時から良木を多く産出した地であったことがわかる(秩父神社文書)その後史料は見られないが,天正17年11月22日銘の若宮八幡(現名栗村上名栗)の鰐口に「武州秩父郡名栗郷柏木村」と見え,奉納者は横田源右衛門とある柏木の地名は江戸期の上名栗村の小名に見え(新編武蔵),現在も字名として残る名栗郷は当時から名栗谷とも呼ばれ,元亀3年3月5日の北条氏邦(鉢形【はちがた】城主)の印判状と伝える文書には,上杉一揆が名栗谷を通り,北上して妻坂峠を越えて秩父方面へ抜けた旨が見え,飯能【はんのう】から秩父への重要な交通路に当たっていたとみられる(加藤文書)名栗郷は江戸期には上名栗と下名栗に分村
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289182
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ