ケータイ辞書JLogosロゴ 鍋小路村(近世)


埼玉県>吉川市

 江戸期〜明治22年の村名。葛飾【かつしか】郡松伏【まつぶし】領のうち。古くは八郷下河辺荘に属したという。幕府領。江戸初期の開発といい,「田園簿」には見えず,村高は「元禄郷帳」では115石余,「天保郷帳」116石余,「旧高旧領」115石余。村の規模は東西3町・南北5町。化政期の家数18軒。用水は二郷半領新田用水を利用。砂まじりの地味で,しばしば水害を被る。鎮守は天神社・水神社。寺院は新義真言宗不動寺。高札場は村の中央。小名は平沼・ヂヤクロ。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数22・人口143,馬2,川下小船1・耕作船10。物産は米。明治12年北葛飾郡に所属。同22年旭村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289184
最終更新日:2009-03-01




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