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- 新島村(近世)とは
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新島村(近世) 江戸期の村名伊豆国のうち幕府領大島の西海岸に立地「南方海島志」によると,寛文年間,伊奈兵右衛門が伊豆代官のとき,当村に手代を置き庁を定め,利島【としま】・新島・神津【こうづ】島・三宅【みやけ】島・御蔵【みくら】島の支配を行わせたという岡田村とがともに本土との交通の要衝で,江戸・伊豆・相模からの船がしきりに出入りしていた船着場のすぐ上に為朝館跡と呼ばれている高台があり,平安末期,保元の乱で敗れた源為朝が大島に流され,この地に居を構えていたという伝説が残る安永3年3月,伊豆代官江川太郎左衛門が作成した「伊豆国附嶋々様子大概書」によると,村の人口は1,323で,大島のほかの4か村(岡田・差木地【さしきじ】・泉津【せんづ】・野増【のまし】)の合計人口を上まわっている寺院は伊豆国下田法善寺末浄土宗潮音寺・下田本光寺末日蓮宗海中寺と網代【あじろ】善明寺末禅宗金光寺の3か寺がある明治期に入って元村と村名を改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」