ケータイ辞書JLogosロゴ 新宿下町(近世)


埼玉県>さいたま市

江戸期の大宮宿の組名大宮宿七組の1つ宿の南方に位置する幕府領天正年間頃中町から分かれた中山道が氷川大門通りを通っていた頃,宮町・新宿中町・新宿下町の3か町で伝馬役をつとめた(北沢家家譜)寛永5年中山道を新たに敷設した際に新道沿いに移転家並みは東側112間3尺7寸・西側108間5尺,地子免6,533坪(大宮市史)検地は寛永6年・享保16年町高は「元禄郷帳」では大宮町新宿下町と見え88石余,「天保郷帳」でも大宮町新宿下町と見え101石余脇本陣松本角十郎家・同松本万右衛門家があり,ほかに旅籠5軒と茶屋1軒があった松本万右衛門家は問屋名主のかたわら紀伊徳川家の鳥見役をつとめ,鷹場脇本陣でもあった文化6年の家数42軒・人口176人(中山道浦和大宮宿文書)小名は下原現在の下町1〜3丁目のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289248
最終更新日:2009-03-01




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