- JLogos検索辞書>
- 根古屋村(近世)とは
「根古屋村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
根古屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
根古屋村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国設楽【したら】郡のうち豊川中流に位置慶安3年中村から分村して上之山村と称し,元文2年改称したというが,すでに「寛永高附」に根古屋村と見える地名は城の根小屋の意味(千郷村史)で,永正13年菅沼定則が築き,元亀4年城主菅沼定盈が武田信玄に攻められ,水を絶たれて落城した野田城跡があるこの戦いで信玄は村松芳休の笛に誘われ,鳥居半四郎の鉄砲で撃たれたと伝える天正18年廃城はじめ幕府領,寛永2年旗本島田氏知行(野田陣屋),延宝3年その分家の旗本島田氏知行(稲木陣屋),正徳4年旗本中根氏知行,明治2年からは重原藩領村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」では禰ごや村と見え67石余,「天保郷帳」75石余,「旧高旧領」80石余瓦の製造販売をする者もあり,野田瓦の名声を博した(同前)曹洞宗法性寺がある明治11年南設楽郡に所属同年豊島村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」