ケータイ辞書JLogosロゴ 野田村(近世)


埼玉県>川越市

 江戸期〜明治22年の村名。入間【いるま】郡河越【かわごえ】領のうち。慶長20年の文書に野田新田とみえることから,慶長年間頃の開墾と考えられる。川越藩領。検地は慶安元年,新田検地は明暦2年・延宝3年・元禄7年。村高は「田園簿」で284石,うち田47石余・畑236石余,「元禄郷帳」280石余,「天保郷帳」366石余。村の規模は東西・南北ともに3町余。化政期の家数36軒。陸田が多い。神社は稲荷社・天王社など。稲荷社は小手差稲荷といわれる。寺院は法華宗妙昌寺・時宗十念寺。十念寺の開山泰禅は天文元年の入寂と伝える。高札場は村の中央部。小名は五反屋敷・堺町。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数169・人口554,馬3,荷車17。物産は米・大麦など。明治12年入間郡に所属。同22年一部は川越町に合併。残余は田面沢【たのもざわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289440
最終更新日:2009-03-01




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