ケータイ辞書JLogosロゴ 羽生(中世)


埼玉県>羽生市

 戦国期に見える地名。埼玉郡のうち。初見は文明10年の太田道灌状で,3月20日条に「羽生陣」と記す。永禄9年正月26日羽生城主広田直繁判物には「太田庄羽生」とあり太田荘の一部であったことがわかる(正覚院文書)。なお,羽生城は弘治2年の築城と伝え,元亀3年8月18日上杉謙信書状(歴代古案),同4年4月19日結城晴朝書状(上杉家文書)に「羽生」と見える。当地は上杉・小田原北条両氏の接点に当たる重要な地点であった。羽生城破却後,忍【おし】城主成田氏の支配となる。「成田分限帳」に「永百五拾貫文埴生大膳亮長員,同六拾貫文埴生出雲守,同参拾貫文埴生助六郎」と見える。天正18年旗本大久保氏が羽生城に入封,翌19年5月1日,大久保氏の家臣鷺坂道可は源長寺に証状を与え,「羽生之内藤井郷源長寺」の保護を確約している。なお下村君村鷲明神・横沼明神合社の天正18年9月の懸仏銘には「武州大田埴生之庄村君郷」とあるが,埴生荘が中世荘園として存在したことの徴証はない。江戸期には上羽生村・下羽生村・羽生町場村に分かれた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289583
最終更新日:2009-03-01




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