ケータイ辞書JLogosロゴ 東粂原村(近世)


埼玉県>宮代町

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡百間【もんま】領のうち。化政期頃に久米原村のうちで,一橋家領分を西久米原村,下総佐倉藩領,旗本渥美・細井氏相給分を東久米原村と私称し,幕末に至って分村した。検地は分村前の元禄3年。村高は「旧高旧領」で475石余。鎮守は鷲明神社。寺院は日蓮宗経王山妙本寺・新義真言宗大聖院。明治4年埼玉県に所属。同7年久米原村新田を合併。同9年の戸数69・人口399,馬13。公立小学校は大聖院を仮用し,生徒数64。大聖院は明治7年廃寺。物産の米は岩槻【いわつき】町,大麦は粕壁【かすかべ】宿,小麦は杉戸宿に出荷。同12年南埼玉郡に所属。同22年須賀【すか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289724
最終更新日:2009-03-01




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