ケータイ辞書JLogosロゴ 広ケ谷戸村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡木崎領のうち。もとは大谷口【おおやぐち】村のうち。「田園簿」には見えず,「元禄郷帳」には見えることから元禄年間頃分村したと思われる。幕府領。検地は元禄3年,享保17年。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに95石余。村の規模は東西5町・南北7町余。化政期の家数16軒。陸田のみ。紀伊徳川家の御鷹場支配を受けた。鎮守は大谷口村の氷川明神社,神社はほかに稲荷社。寺院は天台宗善応院。高札場は村の中央部。小名はムカヒノ台・フキトフシ・中曽根など。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数18・人口98,馬6,荷車3。物産は大麦・小麦・里芋・サツマイモ・薪など。明治12年北足立郡に所属。同22年谷田【やだ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289902
最終更新日:2009-03-01




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