ケータイ辞書JLogosロゴ 府川郷(中世)


埼玉県>川越市

 戦国期に見える郷村名。入東【につとう】郡のうちか。永禄8年12月18日の梶原政景書状(三戸文書)に「河こへのしやうふかわのかう」ほか数か所を三戸駿河守室に安堵されていることが見える。のち天正5年5月26日の北条家印判状によれば竹谷源七郎・大野縫殿助の2人は隠田を申し出た褒美として代官職に任じられ,検地結果の増分のうちより5貫文を下された。またこの隠田摘発の検地の結果,府川郷の田は14町余,反別500文で,その分銭72貫679文,畠は24町余で,反別165文で,その分銭40貫27文,合計分銭112貫706文とあり,これより神田・井料などの引物20貫がひかれ,府川郷の定納年貢は91貫706文と定められ,それを永楽銭(半額となる)で46貫353文を毎年岩付御蔵奉行に渡すことが命ぜられている。また天正7年と推定される卯4月29日の北条家印判状では人足1人を出し,野本より板50枚を岩付へ届けるよう「府川郷小沢図書分 百姓中」に申し付けている(竹ノ谷文書/武文)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7289959
最終更新日:2009-03-01




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