ケータイ辞書JLogosロゴ 藤之木村(近世)


埼玉県>深谷市

 江戸期〜明治22年の村名。幡羅【はたら】郡のうち。古くは原ノ郷永井荘深谷【ふかや】領に属したという。はじめ幕府領,正保元年一部が旗本本田氏の知行,享保3年幕府領が旗本日下部氏の知行,のち日下部氏知行分は幕府領,寛政元年幕府領は旗本小栗氏の知行となる。検地は寛永21年。村高は「田園簿」では56石余ですべて畑,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに56石余。村の規模は東西・南北ともに10町余。化政期の家数6軒。鎮守は白山社。寺院は真言宗常円寺。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数7・人口34,馬2,荷車1。物産は藍玉・藍葉・綿など。明治12年幡羅郡に所属。同22年明戸【あけと】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290032
最終更新日:2009-03-01




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