ケータイ辞書JLogosロゴ 富士山村(近世)


埼玉県>入間市

江戸期〜明治元年の村名県南部,不老【としとらず】川流域の狭山【さやま】丘陵に位置するかつて地内に富士浅間社があったことが地名の由来という(合併史)入間【いるま】郡山口領のうち慶安年間頃,宮寺町が11か村に分村して成立郷帳類には「宮寺 富士山村」と見える旗本大田氏の知行検地は寛永2年村高は「元禄郷帳」で32石余,「天保郷帳」35石余村の規模は東西4町・南北12町化政期の家数26軒耕地は陸田のみ元禄年間以降日光裏街道・所沢街道の往来が頻繁となり,富士山村も近隣の街道村とともに商業活動が盛んになった両道沿いでは,肥料商・質屋・青梅嶋太織物販売・油屋,酒や醤油の醸造,紺屋・織物・商品仲買・茶店・貸元などが行われ,その数17軒余を数えたという明和5年の人別帳によると戸数23・雇人19,馬9で,文化元年には戸数27・雇人27,馬16となり,次第に経営規模が拡大していった(瑞穂町史)貞享5年高根・富士山・坊村と石畑村との間に,入会権をめぐって,さらに宝永5年にも浅間社の支配権をめぐり箱根ケ崎村(東京都瑞穂【みずほ】町)とで相論が起こっている(瑞穂町史)高札場は村の中央部小名は権現山下・富士山下・稲荷山下明治元年駒形村と合併し,駒形富士山村となる現在の東京都瑞穂町大字駒形富士山・入間市大字駒形富士山のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290038
最終更新日:2009-03-01




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