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- 船渡村(近世)とは
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船渡村(近世) 江戸期~明治10年の村名船戸・舟渡とも書く村山地方,最上川上流沿岸に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永8年幕府領庄内藩預り地,同9年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領川面郷に属す村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに96石余,村山石高帳によれば船戸村と見え天保13年88石余元治年間頃から桑市がたつようになった宝暦8年の左沢御領知村高組訳書抜帳(朝日町教育委員会保管文書)によれば,家数13軒・人数62(男38・女24)なお天明7年の左沢領村々様子大概書下(県史13)によれば,村高7石余を有する船渡村が見え,「此村私領船渡村持添にて,民家なし」とあることから船渡村の持添えであったことがわかる旧山形県を経て明治9年山形県に所属同10年川通村ほか3か村と合併して玉ノ井村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
船渡村(近世) 江戸期~明治8年の村名蒲原郡のうち飯豊山南西の山麓,阿賀野川右岸会津藩領村高は,「元禄郷帳」113石余,「天保郷帳」258石余なお,文禄3年高目録帳には舟渡・実川として277石余と見える文化初年頃の戸数は,本村28,端村の離石4,徳根3,寺社は船沢寺,山神社,帝釈神社があった(新編会津)田畑は少なく,林業・筏乗りを主とした明治8年の戸数28・人口153(若松県管内地誌)同年菱渡村の一部となる現在の鹿瀬【かのせ】町豊実の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」