ケータイ辞書JLogosロゴ 古尾谷(中世)


埼玉県>川越市

 室町期から見える地名。入東【につとう】郡のうち。延文6年の成立という市場之祭文の応永22年7月20日の追記に「武州河越庄古尾屋市祭成之」とあり,付近一帯の中心として栄えていたことがわかる(武文)。文安3年2月18日の臼田憲景譲状によれば「武蔵国入東郡古尾谷名主職」ほかを臼田政重に譲る旨が見える(臼田文書)。憲景は,その譲状の中で,この相伝の本領は,永享9年の大乱のとき,上杉憲実方に従って以来,安堵されたことを述べている。のち福徳(延徳)2年3月2日の曽我豊後守に宛てた扇谷上杉定正書状写には,子息朝良のかたへ「山口,小宮,仙波,古尾谷,面々被越候」とあり,当地の古尾谷氏が扇谷上杉家に重用されていたと考えられる(武文)。「役帳」には他国衆の太田資正の所領として「七百七拾六貫四百文 入東 古尾谷」とある。天正19年11月,徳川家康は「入間郡古尾谷内五十石」を古谷本郷の八幡宮に寄進した(武文)。江戸期には古谷本郷を中心とした村々が古尾谷荘十三郷と称したという(新編武蔵)。現在の川越【かわごえ】市大字古谷上・古谷本郷付近。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290080
最終更新日:2009-03-01




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