ケータイ辞書JLogosロゴ 坊村(近世)


埼玉県>入間市

江戸期〜明治8年の村名県南部,不老【としとらず】川流域の台地・丘陵に位置する入間【いるま】郡山口領のうち古くは宮寺郷に属したという地名の「ボウ」が小平地を意味し,当地が狭山【さやま】丘陵中の小平地に位置することによるといわれ(地名誌),また長福寺(現在の大字二本木)を大坊と称したことから付近を坊村とよぶようになったともいわれる(瑞穂町史)慶安年間に宮寺町が11か村に分村して成立郷帳類には「宮寺 坊村」と見えるはじめ旗本長尾氏の知行,幕末には幕府領検地は寛文12年検地の案内に村役人作左衛門他3名が当たり,検地の名請人24名,上畑11町5反余・中畑2町6反余・下畑3反・下々畑4反余・山畑9畝余・屋敷5反余の高入がなされ,勘能坊7畝・大正寺2畝余の除地があった(細淵家文書)村高は「元禄郷帳」175石余,「天保郷帳」173石余村の規模は東西4町・南北2町化政期の家数35軒村の南東に6反余の松林および雑木林がある坊村は狭山茶発祥の地といわれ,文政年間吉川温恭(忠八)・村野盛政・江戸日本橋茶商山本徳潤(山本山の祖)らが茶の生産をすすめ,江戸に売り出したのが狭山茶繁昌の始まりという(歴史地理)高札場は村の西部小名はにい塚・砂久保など鎮守は中野村の寄木明神社寺院は新義真言宗大聖寺・本山派修験金蔵寺村内の太子堂には天文2年の板碑がある明治8年小ケ谷戸村ほかと合併して宮寺村となる現在の入間市大字宮寺のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290129
最終更新日:2009-03-01




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