- JLogos検索辞書>
- 本郷とは
「本郷」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
本郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷(中世) 戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷①【ほんごう】 (中世)鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
本郷①(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名幡多郡幡多荘のうち本荘とも見え幡多本郷ともいう建長2年11月日の九条道家惣処分状の一条実経に譲られた所領の中に「新御領……土左国幡多郡 本庄 大方庄 山田庄 以南庄 加納久礼別府」と荘園名で見えるが(九条家文書/図書寮叢刊・鎌遺7250),以降の史料にはほとんど郷名で見えており,独立した荘園ではなく,幡多荘の一部で,中心にあったため本郷と称されたものと考えられる郷名の初見は嘉禎3年10月18日の法橋某田地寄進状で,「寄進 香山寺〈在土佐国幡多御庄本郷内〉領田参町事」とあり,当郷内にある香山寺に当郷内の「小塚村内大坪田壱町」「早代内長田壱町」「中津町田壱町」が寄進されている(蠧簡集)香山寺はもと中村市坂本の地にあったが,現在は廃寺この寄進された田地は正嘉2年7月24日の中原某下文に「一,供田等可免公事」の1つとして「香山寺供田参町」とあり,「幡多本郷」に金剛福寺領内の殺生禁断と供田に対しての公事免除が命じられている(同前)また同年10月日の前摂政家政所下文には旧例に任せて奉免された金剛福寺供田6町の1つとして「本郷三町」が見える(同前)また文永12年3月日の沙弥某下文でも「幡多本郷」に宛てて僧慶心を船所職に補すことを命じている(金剛福寺文書/脱漏)弘安4年5月日の前摂政家政所下文案では「土佐国幡多本郷沙汰人・百姓等」に対し,金剛福寺および香山寺の供田畠11町4反20代を奉免することが命じられており(蠧簡集),3通の正応2年5月日の前摂政家政所下文案でも同様に命じられている(同前)永仁6年3月日の某袖判宛行状案によれば,「本郷内中村観音寺」が大輔房心慶に宛行われている(蠧簡集/鎌遺19639)下って室町期の応永18年3月14日の年紀のある小塚村観音寺鰐口銘には「奉鋳土州幡多郡本郷観音寺鰐口之事」と見える(古文叢)文安4年3月29日の一条兼良御教書によれば,金剛福寺に寄進された「津倉淵」の四至に「東限本郷湊口」とあり,先の寄進状に任せて安堵している(金剛福寺文書/脱漏)その後応仁2年には一条教房が家領回復のため幡多荘に下向,当郷中村に居館を構え,以後房家―房冬―房基―兼定と相次いで発展し,全盛期には高岡郡東南部にまでその勢力が及んだその頃の永正11年5月18日の年紀のある薬師堂机銘には「土州幡多郡本郷具同村間前寺本尊之前直机奉造大工当所住人助左衛門」とあり(脱漏),永禄10年空月6日の年紀のある敷地村貴布禰社棟札にも「土州幡多庄本郷敷地村瀬々里貴布禰大明神御宝殿之上棟」と見えており(木屑),当郷には現在の中村市具同および敷地の地域も含まれたことがわかる永禄2年3月吉日の康政印判状によれば,「本郷中村八幡」に4か所3貫分が寄進されている(蠧簡集)下って天正4年3月12日の柏井監物知行坪付によれば,長宗我部元親が当郷内の地5反40代を柏井監物に宛行っている(編年紀事略)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
本郷村(近世) 江戸期~明治12年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」