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「本町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

本町(近世)


江戸期の町名川越【かわごえ】城下の上五ケ町および川越十ケ町の1つ西大手門の正面に位置する徳川氏の関東入部以前は本宿と称したが,のち本町と改めたという化政期の家数...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7290208]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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本町(近世)

 江戸期~明治22年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

本町(近世)
 江戸期~明治22年の東海道沼津宿の町名...

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本町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

本町(近世)
 江戸期~明治9年の町名...

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本町(近世)
江戸期~明治8年の町名高遠【たかとお】町のうち,町方10町の五つ鉾持村内,伊那と諏訪を結ぶ杖突街道沿いには古くから門前町や宿場が街村を形成していたが,寛永年間頃,城郭に接していた旧城下町をこの低地に移し,中央部に大手門からみて一直線に大道を開き,西方に中町,東端に下り町,中央に本町をおいた町の長さ58間1尺・横道38間1尺で,2,839坪(高遠地方旧記など)町内の商家は,切妻造り,長坂葺石置屋根,低い格子造りの2階屋の庇にのれんを掛け,座敷売場に店棚をつけ,店先に売台を出していた入口の土間が裏の中庭に通じ,倉が立てられていた(高遠探勝絵巻)元禄10年の家数間数帳によると間口3~6間の大店が20軒ある宝永9年の人口298うち下人122,享保5年の人口262うち下人107,寛延4年の人口107(男63・女44)で,うち下人74と,下人が多く,隆盛な商業中心街であることを物語る御用商人6軒,諸荷物問屋1軒があり,問屋・名主の3人からなる町方役に問屋役所も置かれていた町方は地子免除の無高地だが,運上金・冥加金・諸役金に,間数に応じた伝馬役・人足役が課せられた当町は伝馬役で,元禄10年は本伝馬役14軒,半伝馬役7軒明和8年は本伝馬役12軒・半伝馬役11軒と,幾分か本伝馬減少するものの,本伝馬役が多く,ほとんどの商家には自家用の馬を持っていたなお在郷には土地を持ち小作米を収納する豪商もあった元文4年・天保5年・文久3年などと,しばしば全焼に及ぶ火災にあい,天保6年には入口109で19戸と減少するが,復興も早く,またたび重なる飢饉にも困窮者を出さず,援助する余力さえあった明治8年西高遠町の一部となるなおその後も中町とともに商業の中心街として栄え,現在も本町商店街と称されている...

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本町(近世)
 江戸期~明治7年の町名...

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本町(近世)
江戸期~明治11年頃の町名江戸期は平戸城下本町通十六町のうちの1町また,平戸城下本町通六町の1つである宮之町に属する1町でもあった平戸城の西,平戸港西岸の中程に位置する北は宮之町に接する戦国末期,異国船入津に際し磯辺を埋め町屋を広めた寛永初年頃小川島・壱岐印通寺に鯨組を仕立て,さらに平戸の本組を興した吉村五兵衛は当町に居住したのちの新組吉村庄左衛門はその一門であった(鯨記・西海鯢鯨記・平戸年鑑)当町中央に位置する寛政年間の御使者屋は益富又左衛門の拝領地であった又左衛門は日本の捕鯨のなかで最大の経営規模を誇った益富組の頭主を勤めた先代は平戸鏡川で畳屋を営み,のち生月【いきつき】島に移住したが,享保9年鯨漁に着手した益富正勝を初代とし,後々まで同島に本居を構えたこのため,当町の居宅はふだんは藩御用の客舎とされ,両隣には各々使者屋番人を居住させた寛政7年の町方仕置帳によると,使者来訪の際には町奉行所まで届出て上下人高の様子に応じて旅宿を申し付けるとあり,当時は格別の処遇を要す客使に限り使用されたと思われるまた使者送迎時の作法,料理支度出物の種数,掃除や床餝(飾)に至るまでの接待仕法を細かく定めている寛政4年の六町図によると,町内には八百屋小路の名が示すように4軒の八百屋が立ち並び(惣町で18軒),髪結は本通り筋の店構えを禁じられ,山手の小路にあったしかし,鬢付屋の大半が本通りに面しているのは,髪月代を剃る髪結床と固油で日本髪を結う鬢付屋を明らかに職別したからと思われるほかに塗物師が2軒あった(惣町で3軒)明治11年平戸町に属し,宮之町の一部となる...

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本町(近世)
 江戸期の町名...

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本町(近世)
江戸期~明治9年の町名中通り南部,阿武隈【あぶくま】川の支流谷津田川北岸に位置する白河郡のうち白河藩領小峰(白河)城下郭外のうち村高は,古領高長では1,907石余,文化年間の演説書書抜では473石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに本町村として576石余村高の減少は古領高長にはなかった新町・桜町の成立との関係かと思われる城の追手口の東南にあり,十軒店より折れて東に続く町の長さ172間・幅5間3尺奥州街道沿いの町で,旅籠屋が多く,化政期の家数96軒鎮守は城の東にある大村の鹿島神社町の南側にある天台宗永蔵寺は,江戸東叡山の末寺で開基は円勧僧都という観音堂に本尊千手観音があり,什物の十六善神画像は伝探幽筆曹洞宗長寿院は元禄年間松平大和守直矩が山形より白川に移封の時,石川郡小高村から当地に移したという文政年間の本町検断芳賀源左衛門の先祖は中世結城家の家臣で,寛永頃丹羽長重に請われて本町検断となり,代々世襲した追手口向いの南角の馳走屋敷は,他国の使者の応接の場所であり,松平定信が寛政年間設置した郷学所は,城下商人などの子弟に筆算を教えた本町西端に至る北から南に折り回した十軒店と称する町は,長さ12間余・幅6間町名は10軒ほどの店があるため起こるという(白河風土記)明治7年の遠藤家文書によると,本町村は本町・馬町・南町からなっている明治5年の戸数201・人口972旧福島県を経て明治9年福島県に所属同年天神町ほか9か町村および学田新田の一部と合併して白河町となる...

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本町(近世)
 江戸期~明治13年の村名...

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本町(近世)
江戸期~明治10年頃の町名江戸期は高知城下上町の1町で,明治初年上街の町名となる上町のほぼ中央部,郭中升形から西へのびる道筋に位置する北は北奉公人町,南は水通町町名は上町の各町のうち最初に成立した町であることに由来するもとは升形町と称した寛文9年の城下町絵図では「升形町」とあり,町域西部には武家屋敷が描かれる「高知風土記」では「本町」と記され,東西500間・南北40間,家数112軒,東から3丁目までは町家で町役を勤め,その西1丁目半は年貢負担地,続く50間は与力町とある升形を経て郭中の本町に続く当町の道筋は他国人往来の順路にあたるため,延享3年幕府巡見使通行を機に町内各戸表口の修繕がなされたというしかし同年12月6日の火事により全焼復旧後は全域が下士身分の者と町人の雑居となり,店付も町域西部の4~5丁目まで延長されたという(高知沿革略志)天保12年の城下町絵図によれば,升形から西へ1~5丁目が記され,1丁目東部から2筋西の通町まで魚ノ棚の横町があり,また5丁目は広小路が作られており,当町・水通町・通町の3筋が合流する城下西出入口の思案橋に至っているなお当町分にかかる魚ノ棚は南北36間並に2間1尺(高知風土記)明治8年の区制史料では「本丁」と見えるが,翌年からの郡区町村編制法実施に際しての同11年布達では「上町本町筋」とある(県行政区画変遷史料集)明治10年頃本町筋と改称...

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