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- 的場村(近世)とは
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的場村(近世) 江戸期~明治8年の村名伊那郡のうち藤沢川下流右岸に位置する城山山麓沿いに北上する藤沢街道と東部へ延びる秋葉街道が交差する付近に河谷集落を形成村名の由来について「木の下蔭」は,当城の士がこの所へ出かけて的を射ることから村名になったとある西の城山には,由緒不詳だが,峰階段形式という中世様式の山城跡がある高遠【たかとお】藩領「天正高帳」では弥勒199石余のうち「正保書上」では,不動村と記される弥勒村を合わせて,的場村として227石「元禄郷帳」では83石余,「天保郷帳」83石余,「旧高旧領」84石余なお明暦2年の検地で67石また「高遠地方旧記」では田方16石余・畑方66石余年貢免定率は5割を基準とするが,宝暦2年の毛付率4ツ3分8厘,取米35石余であった明和元年の郷村中馬頭数調による中馬頭数14街道筋に白木改所が置かれ,運上金を徴集したなお天保4年頃から藩の養蚕振興により桑を植え,養蚕を業とし,幕末から明治初年にかけて養蚕が盛んになった文化年間の戸数37天保9年24戸・人口114嘉永3年30軒山麓に医王山三学院香福寺がある天平17年行基が薬師如来を彫って本尊とし,一宇を建立と伝える往古門前の古道通りには市が立ったといい,九日市・新館の字名が残る境内の太子堂は,江戸期職人衆の信仰が篤かったほかに日蓮宗妙法山蓮華寺があり,延文5年大覚大僧正開基創建高遠藩主保科正之の生母浄光院の菩提寺であった大奥年寄絵島の墓がある明治4年高遠県を経て筑摩県に所属同6年広徳学校を開設,生徒56人同8年長藤【おさふじ】の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
的場村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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的場村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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