ケータイ辞書JLogosロゴ 的場村(近世)


埼玉県>川越市

 江戸期〜明治22年の村名。高麗郡のうち。古くは三芳野郷に属したという。川越【かわごえ】藩領。検地は天和2年。村高は「田園簿」で266石余,うち田103石余・畑162石余,「元禄郷帳」583石余,「天保郷帳」743石余。村の規模は東西1里・南北30町余。慶長12年と推定される未2月11日の江戸幕府奉行人連署状によれば「くしらい(鯨井)まとは(的場)野公事之儀」について相論があり,女堀【おなほり】を境にして内が的場に付され,外が入会地となったことがわかる(武文)。化政期の家数180軒。用水は村内の蟹淵用水を利用。村内を秩父【ちちぶ】から江戸への往還と秩父から川越への往還が通る。旧家は神山氏を称する七右衛門と加藤氏を称する八三郎家。両家はともに当村の草創5軒の百姓の1つと伝える。鎮守は上戸【うわど】村の山王社。神社は弁天社・愛宕社・天神社など。寺院は曹洞宗的場山法城寺。高札場は村の北部。小名は宿・上沢・三芳野など。村内には三芳野塚・初雁塚があり,法城寺は三芳野山宝常寺,天神社は三芳野天神と称したと伝え,近隣の地域を三芳野里と称したという。明治初年公立小学校開校,生徒数48。同9年埼玉県に所属。同年の戸数180・人口888,馬63,荷車6。物産は繭・米・小麦・木綿縞など。ほかに製茶を行う。明治12年高麗郡に所属。同22年霞ケ関【かすみがせき】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290339
最終更新日:2009-03-01




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