ケータイ辞書JLogosロゴ 南阿賀野村(近世)


埼玉県>深谷市

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢【はんざわ】郡本庄領のうち。古くは大寄郷藤田荘に属したといい,一説には岡部領に属したともいう。正保〜元禄年間に阿賀野村が南阿賀野・北阿賀野村に分村して成立。はじめ旗本安部氏の知行,慶安2年立藩して摂津瓜生【うりう】藩領,宝永2年からは岡部藩領。村高は「元禄郷帳」で146石余,「天保郷帳」185石余。村の規模は東西2町余・南北3町余。化政期の家数23軒。鎮守は蘆原明神社。神社はほかに雷電社。寺院は新義真言宗大福院。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数32・人口148,馬7。物産は蚕卵紙・繭・太織・生絹・生糸など。飛地が町田・血洗島2村の間と岡部村にある。明治12年榛沢郡に所属。同22年手計【てばか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290473
最終更新日:2009-03-01




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