ケータイ辞書JLogosロゴ 棟岡(中世)


埼玉県>志木市

 戦国期に見える地名。入東【につとう】郡のうち。初見は寛正4年4月に室町幕府が,赤塚(現東京都板橋区)にいる鹿王院雑掌に向けて,宗岡郷に入部した長田弥四郎清仲への協力を命じた文書(鹿王院文書)。また「廻国雑記」の著者道興准后は,文明18年霞の関を越えて笹井(現狭山【さやま】市)に至る途中,棟岡を通り夕の煙をみて,「夕けふりあらそふ暮を見せてけりわか家々のむね岡の宿」と詠んでいる。さらに小田原北条氏が作製した「役帳」では,他国衆であり武蔵七党の出自で,川越【かわごえ】市南方に本拠をもつ難波田与太郎は,入東郡内の棟岡の地で30貫文の役高を持っていたことがわかる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290624
最終更新日:2009-03-01




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