ケータイ辞書JLogosロゴ 横瀬郷(中世)


埼玉県>横瀬町

 南北朝期に見える郷名。秩父郡のうち。「七党系図」によると,丹党横瀬氏の本拠地。暦応3年正月24日と同年8月22日の安保光阿(光泰)譲状(安保文書)に「秩父郡横瀬郷」と見え,本貫の賀美郡安保【あぼ】郷(現児玉郡神川【かみかわ】町)などとともに安保光泰より嫡子泰規に譲渡された。元亀3年3月5日の北条氏邦印判状(武文)では,上杉勢の侵攻に対処して根古屋城を固めるために朝見伊賀守に加勢を命じ,「東者小丸坂之上,西坂永之上,南産川添,北横瀬山田村境定」の地が行を宛行われている。(天正16年)4月11日の北条家印判状(守屋文書)では,「横瀬之内 兵部太夫殿」に馬上武者1騎の軍役奉仕が命じられている。天正20年4月29日の北条氏邦印判状(加藤文書)では,年貢高が165貫871文と定められ,肝煎衆加藤雅楽之助・同名将監・阿佐美杢助らが見える。戦国末期には北条氏邦が当地を支配し,御岳【みたけ】城・根古屋城を築いたと伝える。長享2年5月2日の秩父札所番付(小鹿野町法性寺/埼中)には,当郷内の五閣堂(26番)・大慈寺(27番)・明地寺(29番)・荻堂(30番)・西禅寺(31番)・牛伏(32番)が記されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290864
最終更新日:2009-03-01




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