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横根村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期の村名巨摩【こま】郡のうち西河内領に属す富士川中流右岸に位置する地名の由来は,嶺沿いの地であることによると思われるはじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年からは幕府領(上飯田・甲府・石和【いさわ】の各代官所を経て寛政6年から市川代官所の支配)村高は,「慶長古高帳」13石余,「宝暦村高帳」「天保郷帳」21石余文化初年の戸数17・人口76(男39・女37),馬2(国志)駿州路に沿い,南部宿の大助郷村であった寺院は日蓮宗身延山久遠寺末の玉林山実教寺,神社は同寺摂祀の八幡宮がある実教寺境内には井泉の傍らに老桜があり,桜清水と呼ばれる文永年間日蓮が身延入山の際に当地で休息して清泉を喫し,曳いていた杖を地に立てて祈誓したが,その杖がこの老桜であると伝える(国志)「国志」によれば,名主は中村と兼帯で,同村とは1村のように境界が交わり,横根中村と称することもあった「旧高旧領」では横根中村と見え,幕末期には両村は合併して横根中村と称するようになった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期~明治8年の村名多摩郡世田ケ谷領のうち天正19年の水帳に「よこね御公領分」(勝光院文書)とあるのが初見文禄3年の水帳にもある慶長17年,三浦五郎左衛門が当村の22石を与えられて幕府領と相給となる村高は「田園簿」では24石余,うち田18石余・畑5石余多摩川氾濫対策として慶安4年に近江彦根藩井伊家領下野毛【しものげ】村地内の82石をつぶした代替えに,当村の2石余が井伊領とされたまた,文政10年以前に村内の9石9斗が大蔵村に編入された「天保郷帳」の村高は15石余,「旧高旧領」でも変わらず幕府領13石余・井伊領2石余化政期の村の状況は家数9軒,土性は野土,大蔵村との境界が入り組んでいて不明確だった鎮守は大蔵村永安寺持ちの稲荷社(新編武蔵)明治4年幕府領は東京府,彦根領は長浜県に所属同5年神奈川県に編入され,同8年大蔵村に合併,小字となる現在の砧【きぬた】1丁目・大蔵1丁目・砧公園のあたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」