ケータイ辞書JLogosロゴ 吉羽村(近世)


埼玉県>久喜市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡百間【もんま】領のうち。古くは太田荘に属したという。はじめ幕府領,元禄年間には大部分が旗本森川・戸田・高木3氏の相給となる。検地は元禄8年。村高は「田園簿」で695石,うち田366石余・畑328石余,「元禄郷帳」814石余,「天保郷帳」825石余。村の規模は東西・南北ともに23町余。化政期の家数120軒。鎮守は千勝八幡・鷲宮合社。神社はほかに天神社・稲荷社。寺院は新義真言宗密蔵院・妙智寺・金剛院など。密蔵院の中興開山浄恵は永禄7年の入寂と伝える。高札場は村の中央部。小名はかつも原・追出など。明治4年埼玉県に所属。同6年妙智寺を仮用して吉羽学校を開校,生徒数146。同8年吉羽西村新田を合併。同9年の戸数152・人口814,馬39,川下小船6,荷車1。物産は米・大麦・小麦・清酒・白木綿など,米麦を久喜【くき】町・幸手【さって】宿に出荷。飛地が西村のうちにある。同12年南埼玉郡に所属。同22年太田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290927
最終更新日:2009-03-01




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