ケータイ辞書JLogosロゴ 領家村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡木崎【きざき】領のうち。古くは高鼻【たかはな】荘に属したという。はじめ幕府領,寛永16年からは幕府領と旗本青木氏の知行。検地は寛永14年。村高は「田園簿」で297石余,うち田140石余・畑157石余,「元禄郷帳」で298石余,以後変わらず。村の規模は東西30町・南北18町。化政期の家数50軒余。助郷は中山道浦和宿へ出役。紀伊徳川家の御鷹場支配を受けた。鎮守は下木崎村の三室明神社。神社はほかに八幡社・稲荷社など。寺院は天台宗長覚院・同明円寺。高札場は村の西北部。小名は竪野【たての】・本村・牛ケ窪。明治4年埼玉県に所属。同6年長覚院を仮校舎として領家学校開設。同9年の戸数71・人口361,馬15,荷車22。物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆・甘藷など。明治12年北足立郡に所属。同22年木崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7290970
最終更新日:2009-03-01




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