ケータイ辞書JLogosロゴ 粟生村(近世)


千葉県>九十九里町

 江戸期〜明治22年の村名。山辺郡のうち。「東金御鷹場旧記」では大沼田組に属し,上粟尾村・下粟尾村と分載され,ともに南町奉行与力給知,「上総国村高帳」では幕府領および北町奉行与力給知,「旧高旧領」では幕府領。村高は,文禄3年「石高覚帳」246石,「元禄郷帳」246石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに385石余。「上総国村高帳」では家数138。鰯地引網漁業の九十九里浜における代表的漁村であり,明治20年では網数6張(近世の漁村)。飯高惣兵衛は豪農で網元をかね,安永9年には北奉行与力給知上総18か村の代官もつとめている(九十九里町誌)。また惣兵衛は伊能忠敬とも親交をもち,俳号を陵といい「陵集」を著した。明治6年千葉県に所属。神社は面足神社。寺院は日蓮宗善福寺。同7年粟生小学校開設。同18年の反別124町6反余(上総国町村誌)。明治22年豊海村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291046
最終更新日:2009-03-01




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