ケータイ辞書JLogosロゴ 安久谷村(近世)


千葉県>市原市

 江戸期〜明治22年の村名。上総国市原郡のうち。もとは内田村の一部で,元禄年間以前に分村し,江戸期は内田を冠称。ただし,江戸期を通じて内田村としても機能し,享保年間以降は下内田村のうちとも見える。承応12年からは旗本伊丹氏領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに121石余,「旧高旧領」115石余。「上総国村高帳」では家数26。神社は熊野権現社。寺院は天台宗安楽寺があり,池和田村光明寺の末寺。ほかに弘化3年下内田郷八箇村差出帳(長峰運家文書/県史料上総)によれば石川村竜渓寺末寺の曹洞宗大性寺があった。明治6年千葉県に所属。同18年の反別29町7反余(上総国町村誌)。明治22年内田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291097
最終更新日:2009-03-01




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