ケータイ辞書JLogosロゴ 網代郷(中世)


千葉県>関宿町

戦国期に見える郷名下総国関宿のうち天文23年12月24日付足利義氏充行状写に「先御落居之地廿五郷……網代……以上廿五郷……右之地被充行者也」とあり,当郷が古河公方義氏の家臣野田左衛門大夫に充行われている(野田家文書/古河市史資料編中世)次いで,天正2年閏11月の関宿開城により作成された同年12月2日の小田原北条氏奉行人垪和康忠宛て芳春院周興・昌寿連署状には義氏の御料所として「網代 野田」と見え,この時期にも野田氏の知行地であった(喜連川家料所記/同前)この後,当地は小田原北条氏の支配下に置かれ,天正3年2月18日付北条氏政判物案写では「関宿網代之地,任進候,彼地一寺可有御建立候」と命じられている(総寧寺文書/神奈川県史資料編3)この「一寺」とは,現在,市川市国府台にある安国山総寧寺で,氏政は近江国から同寺を移し,義翁和尚を住持としたという(東葛飾郡誌,明徳元年2月15日付寂霊譲状案写/同前)また,天正5年閏7月朔日付某朱印状写によれば,「舟橋三王山南之構之小ほり」の構築が「関宿 網代宿・台宿町人衆」に下知され,年未詳7月5日付小田原北条家印判状写でも当宿および台宿に5日間の陣夫役が命じられている(下総旧事3/同前)また,天正17年4月27日には北条氏政から寺嶋大学助・大谷内匠助に「網代ニ居住悪候,自身者,来月廿日を切而,台宿へ可罷移候」と伝えられている(同前)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291138
最終更新日:2009-03-01




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