ケータイ辞書JLogosロゴ 新井浦(近世)


千葉県>館山市

 江戸期〜明治10年の村名。安房国安房郡のうち。真倉村のうちで,分立の時期は明らかではないが,江戸中期以降独立して見える資料がある(房陽郡郷考など)。「房陽郡郷考」では館山藩領,「旧高旧領」では真倉のうちに見え館山藩領。村高は「旧高旧領」9石余。元和元年大坂夏の陣に際して房州館山のうち新井・楠見より加子30人を徴集している。元禄16年の大地震では84軒程の屋敷のうち全壊21軒・半壊11軒,死者4。享保6年当村ほか2か村と波左間村との間にかつら網地引の件で訴訟出入があった(島田家文書)。大坂夏の陣に徳川方に加子を送ったためか,新井浦は江戸期を通じて館山湾内漁業の特権を有していたが,元禄年間頃から館山4か浦以外の漁村の進出のため紛争が多くなった。寛政5年の明細帳では,反別9反8畝余,田9畝余・畑1反4畝余,家数140・人数589,稼方は漁業専一,そのほか農業・商い,神社は諏訪大明神社,寺院は浄土宗三福寺(上真倉区有文書/県史料安房)。天保13年の新井浦差出帳では家数142・人数677,船数48(島田家文書)。ペリーの渡来した嘉永5年には船17艘・人足121人を,再渡来した同6年には船20艘程,人足191人を差し出した。同7年当村を含めた館山総浦,柏崎浦,笠名村は沿岸警備のための船・人足負担の軽減を嘆願した(島田家文書)。明治6年千葉県に所属。明治10年館山町の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291227
最終更新日:2009-03-01




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