ケータイ辞書JLogosロゴ 飯岡村(近世)


千葉県>飯岡町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。はじめ幕府領,当村は東縄・西縄に分かれ,東縄は寛永19年から旗本長井氏領,西縄は享保8年から与力給知。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに268石余。浜は江戸初期より関西漁師が進出して鰯漁が盛んになる。また,高級魚の江戸出荷地でもあった。寛文12年行内・平松両村と塩浜境界争論があり,その裁許絵図によれば,現在の国道沿い地域は塩釜・砂間・芝間と見え,人家はない。また,玉崎神社東部には西国漁師の納屋などの人家が見え,小屋場と記される(向後家文書)。天保14年の五ケ村書上によれば,家数204,うち農家79・漁家84,ほかに春秋漁期の船方日雇600。明治8年千葉県に所属。神社はもと下永井村海岸に鎮座していた玉崎神社をはじめ,富岡神社・愛宕神社・八雲神社・三峯神社・愛宕神社・稲荷神社,寺院は「天保水滸伝」で名高い飯岡助五郎の墓のある浄土真宗光台寺などがある(海上郡誌)。なお,同寺近くの真言宗定慶寺には笹川茂蔵の首を洗ったという井戸がある。明治10年玉崎神社境内の八田禅量の塾舎を校舎として飯岡小学校開校。明治22年飯岡町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291295
最終更新日:2009-03-01




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