ケータイ辞書JLogosロゴ 飯沼村(近世)


千葉県>銚子市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。天正18年松平氏領,元禄11年幕府領,宝永6年からは高崎藩領(海上郡誌)。なお,ほかに「各村級分」「旧高旧領」では円福寺領30石が見える。村高は,「元禄郷帳」582石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに811石余。享保5年の家数1,492・人数6,849(うち出家16・道心者35・比丘尼4・医師16・山伏3・座頭8・鼓女4)。高崎藩の陣屋が置かれ,郡奉行・代官などが駐在し治政にあたった。半農半漁の村で干鰯生産がさかんに行われた。49艘の高瀬舟が置かれ,問屋も10余軒に及んだ。文化年間の八手網数70(銚子市史)。慶安3年摂津国西ノ宮の漁民惣左衛門が船子67人を率いて来住したという(木国会史)。元治元年の春は未曽有の鰯の豊漁で,漁民は川口神社で大漁の祝を行うこととなり,網元の網代久三郎や松本旭光,俳諧師石毛利兵衛らによって大漁節がつくられた。醤油醸造は元和2年田中玄蕃が摂津国西ノ宮出身の豪商真宜九郎右衛門の教示によって溜醤油をつくったことにはじまるといわれ,これがヒゲタ醤油の創始である(銚子市史)。幕末期,梅津松濤・海静庵・欣求庵・吉川杢左衛門・山本清右衛門が寺子屋を開設。神社は浅間神社・漁運稲荷・銚港神社など。寺院は真言宗円福寺,曹洞宗清水庵,浄土宗海静寺などがあり,円福寺の本尊は十一面観音で飯沼観音と呼ばれ,坂東三十三か所第27番札所であった。明治8年千葉県に所属。明治6年円福寺を仮校舎として小学校を開設,同14年校舎を新築し飯沼小学校と改称。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成,本銚子町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291332
最終更新日:2009-03-01




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