ケータイ辞書JLogosロゴ 市川新田(近世)


千葉県>市川市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。幕府領。村高は,「元禄郷帳」117石余,「天保郷帳」212石余,「旧高旧領」216石余。中央を通っていた5町56間の佐倉道は,寛永年間名主田中家の主導で開発されたと伝える。元禄14年の検地では反別32町5反余,うち田21町9反余・畑9町2反余,郷蔵4畝余・墓地6畝余で(市川市史6下),用水は溜井を用い,名請人は19名,5反から1町までの名請人が9名,名主は田畑屋敷合わせて9町余を有した。寺院に長栄寺,神社に諸天善神社・第六天社がある。八幡宿の助郷村,松戸宿の加助郷村。文政10年八幡町組合村に属し,嘉永年間の組合惣代の1人は当村の名主であった。当地は慶応4年の市川・船橋戦争の舞台となった。明治6年千葉県に所属。同11年東葛飾郡に編入。明治22年市川町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291474
最終更新日:2009-03-01




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