ケータイ辞書JLogosロゴ 都部村(近世)


千葉県>我孫子市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。幕府,旗本小川氏・川口氏の相給。村高は,「元禄郷帳」218石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに229石余。助郷は,水戸街道我孫子【あびこ】宿の定助郷29か村の1つ。天保14年の家数33。うち小川氏領28・川口氏領5で幕府領にはない。神社は八坂神社で応永3年創建。寺院は曹洞宗正泉寺(相馬霊場73番札所)と東光寺。正泉寺は弘長3年創建で,境内には北条時頼の息女法性尼の墓があり,血盆経の出現にかかわる縁起が「利根川図志」に見え,女人成仏の信仰の中心としての役割を果たした。成田街道(旧佐竹街道)沿いの字宿通に集落を持つ農村。江戸前期からの手賀沼開墾により成立した都部村新田は当村を親村とした。幕末の東光寺塾は筆学を教えた。明治6年千葉県に所属。同11年南相馬郡に編入。明治7年の戸数34。明治22年我孫子町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291520
最終更新日:2009-03-01




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