ケータイ辞書JLogosロゴ 稲村(中世)


千葉県>館山市

 戦国期に見える村名。安房国山下【やまもと】郡のうち。安房国では慶長2年秋に総検地が実施されたが,その直後の慶長2年11月20日付里見義康充行状により,「房州山下郡稲村之内百弐拾石」が石井駿河守に充行われている(石井文書/県史料諸家)。当地には天文3年まで里見氏が拠った稲村城があった。里見義通は稲村城に本拠を構えていたが,永正15年に病没した。義通の嫡子竹若丸(のちの義豊)はいまだ幼少であったため,竹若丸が成人するまで里見氏の家督は一時義通の弟実堯に譲られることとなり,竹若丸は宮本城に移り,稲村城には実堯が入った。しかし,義豊成人後も実堯は家督を返さなかったので,天文2年7月,義豊は稲村城を攻め実堯を殺害し,城を奪還した。この時,実堯の子息義堯は逃れて上総国百首城(現富津市竹岡)に拠った。天文3年4月,義堯は義豊攻撃のため安房に侵攻,両軍は犬掛で激戦をくりひろげたが,義豊は敗れて稲村城に逃げ帰り,追撃してきた義堯軍と戦い討死にした。この戦いに勝利をおさめた義堯は上総国浦田城(のちの久留里城)に本拠を置き,稲村城は以後廃城となった(南総の豪雄)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291545
最終更新日:2009-03-01




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