ケータイ辞書JLogosロゴ 犬石村(近世)


千葉県>館山市

 江戸期〜明治22年の村名。安房国山下【やまもと】郡,のち安房郡のうち。慶長2年の秋の安房国総検地直後の同年11月20日付里見義康充行状写に「房州山下郡之内犬石村」とあるのが初見(武州文書/県史料県外)。はじめ里見氏領,元和元年幕府領,のち「正保高帳」では旗本高木氏領,「房陽郡郷考」では忍藩領,「旧高旧領」では幕府領。村高は,慶長15年「里見家分限帳」258石余,「元禄郷帳」294石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに311石余。「正保高帳」では村高294石余のうち,田178石余・畑115石余。元禄16年の地震による土地隆起で巴川湊が使用できなくなり,農耕地帯となった。享保13年名主利兵衛が日光御社参御用人足の御扶持米代664文をうけ取っている。この時利兵衛は安房郡内60か村の触次名主であった(島田家文書)。天保年間頃の家数68(石井家文書/県史料安房)。社寺は犬石神社,真言宗金蓮院・玉蔵院(安房郡誌)。幕末,金蓮院の僧円譲・賢瑜,里正の島田楽山が寺子屋を開いていた。明治6年千葉県に所属。同7年犬石小学校開校,同8年の教員数2,生徒数男44・女13。同16年大成小学校と改称,同20年大成尋常小学校となる。明治22年神戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291562
最終更新日:2009-03-01




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