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- 岩崎村(中世)とは
「岩崎村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 岩崎村(中世) 南北朝期~室町期に見える村名耶麻【やま】郡のうち永和2年閏7月5日の正秀寄進状(示現寺文書/県史7)に「陸奥国会津那(耶カ)摩郡岩崎村」とあるのが初見で,村内の「宇津野・坊平・水沢」を熱塩村示現寺に寄進しているまた応永2年6月13日の太郎丸(蘆名)盛次寄進状(同前)には「那摩郡岩崎村」とあり,両親の菩提を弔うため,村内の「在家四間」を示現寺に寄進している小田付組土地帳および「新編会津」によれば,当村は天正18年,上岩崎・下岩崎・宮前の3か村に分かれ,岩崎村の中心を上岩崎村と称するようになったという会津地方北部,現在の喜多方市北東部一帯と熱塩加納村東部の一部に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岩崎村(中世) 南北朝期~室町期に見える村名耶麻【やま】郡のうち永和2年閏7月5日の正秀寄進状(示現寺文書/県史7)に「陸奥国会津那(耶カ)摩郡岩崎村」とあるのが初見で,村内の「宇津野・坊平・水沢」を熱塩村示現寺に寄進しているまた応永2年6月13日の太郎丸(蘆名)盛次寄進状(同前)には「那摩郡岩崎村」とあり,両親の菩提を弔うため,村内の「在家四間」を示現寺に寄進している小田付組土地帳および「新編会津」によれば,当村は天正18年,上岩崎・下岩崎・宮前の3か村に分かれ,岩崎村の中心を上岩崎村と称するようになったという会津地方北部,現在の喜多方市北東部一帯と熱塩加納村東部の一部に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岩崎村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岩崎村(中世) 鎌倉期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岩崎村(中世) 室町期に見える村名大隅国禰寝【ねじめ】院南俣田代村のうち応永5年12年25日付で「大隅国田代内宗次郎譲村々山野堺」を記した建部清久から宗次郎久助への譲状に「一所 土橋村〈東限しほ井河,西限岩崎村,南限小迫田,北限遊喜田堺尾〉」と見える(田代文書/旧記雑録)田代町麓の岩崎付近一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」