ケータイ辞書JLogosロゴ 岩部郷(中世)


千葉県>栗源町

 南北朝期に見える郷名。下総国千田荘のうち。延文6年3月6日付日祐譲状(中山法華経寺文書/市川市史5)・至徳元年9月日付法印日尊申状案(同前)によれば,鎌倉末期の元徳3年9月4日,「千田庄内岩部郷内田参段・畠陸段・在家壱宇」が郷内の法華堂(中山本妙寺末寺運興寺)の所領として千葉大隅守胤貞から大輔法印日祐に譲られている。この所領は,延文6年に日祐から弟子日尊に譲与され,その後,応安4年12月1日には将軍足利義満の所領安堵をうけた。さらに,永徳2年11月30日にも再び安堵の御教書を下され,翌永徳3年12月8日に下総守護千葉氏の命をうけた使者隼人佐胤藤が当郷所領を中山本妙寺代官に渡し付けている(浄光院文書/市川市史5)。しかし,至徳年間には近隣の鎌倉建長寺領雑掌によって当郷は押領されていた。また,室町期には文明3年2月13日に景家なる者(原氏か)が本土寺(現松戸市平賀)造営のため「ゆわへの郷の年貢百貫文」を寄進しているが,「ゆわへ」は当郷を指すと思われる(本土寺文書/旭市史3)。なお,「本土寺過去帳」には「大永七丙戌二月 南光坊日静〈岩部 安興寺〉」とあるが,安興寺は岩部に現存する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291715
最終更新日:2009-03-01




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