ケータイ辞書JLogosロゴ 上原村(近世)


千葉県>大多喜町

 江戸期〜明治22年の村名。上総国夷隅郡のうち。「上総国村高帳」「旧高旧領」では大多喜藩領。村高は,文禄3年「石高覚帳」472石,「元禄郷帳」498石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに508石余。「上総国村高帳」では家数88。神社は諏訪神社。寺院は天台宗西光寺。地方鋳物師で活躍した三上角兵衛尉金吉作の鰐口がある。金吉は当村に生まれ,梵鐘や大筒なども造り,大多喜藩の御用をつとめた。当村三上七五郎は,明治2年房総最初の上水道工事に着手,大多喜城下への引水に成功,また上原グワをも発明,馬耕の振興と農業開発への貢献が大きかった。寛永寺住職をつとめた大多喜守忍は慶応3年当村の生まれ,学僧で大僧正となった。明治6年千葉県に所属。同7年当村と西之部田村・八声村連合で西光寺に上原小学校開設。同18年の反別162町5反余(上総国町村誌)。明治22年大多喜町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291759
最終更新日:2009-03-01




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