ケータイ辞書JLogosロゴ 売津村(近世)


千葉県>富津市

 江戸期〜明治8年の村名。上総国天羽郡のうち。はじめ幕府領,宝永7年佐貫藩領,文化8年幕府領,慶応3年からは前橋藩領。村高は,「元禄郷帳」159石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに157石余。「上総国村高帳」では家数62。文化8年の明細帳によれば,反別は田方3町8反・畑方7町8反余,家数58・人数240余,牛6・馬6,農間余業は男が山稼,女が木綿糸つむぎであった(椙山家文書/県史料上総)。文政11年には梨沢村と秣場争論を起こした(長崎区有文書/富津市史史料集1)。幕末には春木英が寺子屋を開いていた。明治6年千葉県に所属。神社は山神社など5社。寺院は曹洞宗海竜寺。明治8年一川村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291880
最終更新日:2009-03-01




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