ケータイ辞書JLogosロゴ 江川村(近世)


千葉県>木更津市

 江戸期〜明治22年の村名。上総国望陀【もうだ】郡のうち。はじめ幕府領,のち「上総国村高帳」では旗本土屋氏・間宮氏の相給,「旧高旧領」では前橋藩領。なお「旧高旧領」には熊野社・天神社・光明寺・薬師堂の除地計1石余が記載されている。村高は,文禄3年「石高覚帳」97石,「元禄郷帳」97石余,「天保郷帳」139石余,「旧高旧領」173石余。「上総国村高帳」では家数76。宝永年間当村の近藤五兵衛は私財を投じ牛袋村図那に堰を設置,高柳村を経て当村に至る用水路を完成させた(木更津市史)。享和元年6月23日伊能忠敬は房総半島を測量しつつ当村を通過した(沿海測量日記)。明治6年千葉県に所属。神社は熊野神社・日枝神社。寺院は真言宗光明寺。同18年の反別184町5反余,荷舟漁船ともに34(上総国町村誌)。明治22年巌根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7291893
最終更新日:2009-03-01




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