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- 大久保新田(近世)とは
「大久保新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 大久保新田(近世) 江戸期の新田村名豊島郡野方【のがた】領のうち寛文11年東大久保村戸山の地に尾張藩抱屋敷が置かれ,その構内となった地の民戸9軒と寺院が,替地を給され移住,成立したと伝える(新編武蔵)はじめ幕府領一部が享保5年市ケ谷自證院領に,宝暦5年増上寺領に給される「元禄郷帳」では「戸塚村枝郷」と注記し村高75石余その後,馬場新田を合わせ,「天保郷帳」では61石余「旧高旧領」では幕府領51石余・増上寺領5石余・自證院領9石余「新編武蔵」によれば「田甫は元の如く戸塚村の内に入会いたれば詳には弁明し難し」という産土神は御嶽社寺院に日蓮宗如寛山栄亮寺・曹洞宗海寿山夾山寺がある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大久保新田(近世) 天保8年の郷帳に見える地名で,天保初年に江戸京橋畳町の貞之助が開発した新田(今宿共有文書)滋賀郡内の各村地先にあり,南浜・北浜・中浜(以上志賀町),南滋賀・錦織【にしこおり】・下阪本・山上・五別所【ごべつしよ】(以上大津市)の各村が,それぞれ1石~数石分を分割耕作していた南浜1石余・北浜3石余・中浜1石余... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」