ケータイ辞書JLogosロゴ 大瀬野村(近世)


千葉県>栄町

江戸期の村名下総国印旛【いんば】郡のうちはじめ大瀬野鶴ケ島ともいう利根川,同川支流将監川,および長門川に囲まれた河岸低平地に位置するもとは東部の安食・酒直両村,西部の布川村の草刈場であったが,寛永頃から比較的高場である所から開墾がはじまるそれぞれ北新田・西新田・南新田・下和田新田と称され,安食村(埴生【はぶ】郡)と布川村(相馬郡)との間に所属をめぐって争論が生じ,明暦3年印旛郡大瀬野村1村として旗本本多氏領となる同年の村高200石余,反別32町6反余寛文2年から幕府領同6年からの利根川新川疎削工事に際し,河川敷となった相馬・河内両郡農民の代替地とされ,未開発地の開発がすすむ翌7年西新田地先の将監川を締切り新堤を築造,しかし翌8年洪水で決壊翌9年より年貢を上納(印旛郡誌)延宝元年布鎌新田と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292077
最終更新日:2009-03-01




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