ケータイ辞書JLogosロゴ 太田村(近世)


千葉県>旭市

 江戸期〜明治22年の村名。匝瑳郡のうち。寛永2年頃佐倉藩領となり,同10年旗本大久保氏・押田氏・神谷氏の相給。寛文頃すべてが幕府領となり,その後寛延3年佐倉藩預地,宝暦11年幕府領,明和4年安中藩領となる。このほか慶安2年朱印地15石を安堵された幸蔵寺領がある。村高は,「元禄郷帳」1,243石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,293石余。農間余業として干鰯生産,莚・すげ笠織りをしていた。当村は銚子へ抜ける往還の馬継の宿場として栄え,近世前期より毎月1・7日の六斎市が開かれた。明和5年には安中藩の陣屋が設けられ,下総領23か村の支配の拠点となる。享保3年村が袋・馬場・若衆内・宿天神・新川の5組に区分される。用水ははじめ椿海,のち高橋溜井を利用。鷹場(御捉飼場)でもあった。元文年間頃の年貢津出し行程は陸路2里海上郡野尻河岸,さらに船路45里江戸。祭礼は2月7日の妙見祭礼,6月27日の牛頭天王祭礼,9月22日の地神祭礼,11月7日の第六天神祭礼がある。正徳元年の家数385・人数1,762,文化12年の家数375・人数1,835,馬151。神社は太田神社・八坂神社・浅間神社など。寺院は真言宗幸蔵寺・常光寺・海蔵寺・正覚院など10数か寺(旭市史)。明治8年千葉県に所属。同年幸蔵寺を仮用して太田小学校開校。明治22年旭町の大字ニとなる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292080
最終更新日:2009-03-01




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