ケータイ辞書JLogosロゴ 大田和村(近世)


千葉県>富津市

 江戸期〜明治22年の村名。上総国天羽郡のうち。「上総国村高帳」では佐貫藩領,「旧高旧領」でも変わらず。村高は,文禄3年「石高覚帳」214石,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに211石余,「旧高旧領」112石余。「上総国村高帳」では家数33。文政10年の農間渡世取調書によれば,反別16町4反余,人数154,農間の鍛冶商売1であった(川崎家文書/富津市史史料集1)。幕末には帰山が地蔵堂で寺子屋を開いていた(県教育史巻1)。明治6年千葉県に所属。神社は山神社。明治4年には,質物木挽職・質物荒物・糀瓦焼・糀穀物・質物穀類・穀物渡世各1,屋根屋職6,木挽職1がいた(三浦家文書/富津市史史料集1)。同18年の反別46町3反余(上総国町村誌)。明治22年関村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292105
最終更新日:2009-03-01




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